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      <title>ダリアブログ</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
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            <item>
         <title> 国家緊急権の持つ潜在的危険性</title>
         <description><![CDATA[但し、国家緊急権には政府の権能をいたずらに強大化し、民主主義の存続そのものに懸念が生ずるという危険な要素を含む。憲法上、国家緊急権が許容される場合においても、その権能にはあくまで緊急事態から国家国民を防衛することが目的である以上は、法的な見地からして国家緊急権の発動要件には自ずと時限的な制限がある。立憲主義において国家緊急権の根拠とされるものは、まさに「必要性の法理」「自己保存の原理」というものであり、国家の平和と独立を維持する上で当然にして必要であるという主張がある。特に重要な点としては、実定法を越える事態に際して憲法がその対抗手段を持たない場合に、国家緊急権を否定するような純粋な法理というものは、現実の危機を前にして、ほとんど意味を持たないともいわれる。 一方で、緊急避難措置として立憲的独裁を許容することにより、緊急事態の危機を超えて独裁が恒久化するような状況に陥ることは、立憲民主主義がほとんど機能しなくなるという憲法学的見地からの懸念もあり、その権限を国家に許容すること自体、危険視する向きもある。具体的には不正に軍部が政府に対してクーデターを起こし、憲法に背き非民主的なかたちでの軍事政権を確立、国民を軍政のもとに置くか、或いは政府そのものが民主主義を否定・後退する手段に用いるのではないかという危惧である。
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実際に、国家緊急権が行使された例としては、2007年11月3日、パキスタンではパルヴェーズ・ムシャラフ大統領によって戒厳令が出されている。これは、ムシャラフ大統領が陸軍参謀長を兼務したまま大統領選挙に立候補したことの不当性を審理していた最高裁判所の判決を妨害する意図であったといわれ、政治権力の維持のために国家緊急権を行使した事例として知られる。]]></description>
         <link>http://graft.tajlea.biz/2009/12/post_77.html</link>
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         <pubDate>Tue, 08 Dec 2009 16:04:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>小穂は、多数の花を含んでいるが</title>
         <description><![CDATA[小穂は、多数の花を含んでいるが、その種子が成熟したときには、それぞれの花がバラバラになるものもあれば、小穂の軸が花ごとに折れるもの、また、小穂単位で散布されるものなどがある。 イネ科の小穂から生じる果実を穎果と呼ぶ。イネ科では小穂を構成する鱗片を穎と呼び、イネ科の果実（種子に見えるが、実は果実である）は、多くの場合、その穎に包まれて落ちる。

なお、小穂における小花の構成要素の配置や数、小花の構成などはこの両科においては属や種を区別する重要な形質である。また、両科ともその植物体の形が単純なものが多いこともあり、小穂を調べること、特にそれを分解して調べることはこの類の分類ではほぼ必須である。ただし、観察の最適時期には大きな違いがある。イネ科の場合、これは花が咲く直前であるとされている。雄蘂や雌蘂は完成していて、しかも完全に備わっているのを観察するためである。逆にカヤツリグサ科では果実が熟した時点で観察しなければならない。果実に多くの特徴が現れるためで、開花時に観察しても同定できない場合も多い。
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カヤツリグサ科では、包葉に由来する鱗片が1枚、その中に花が1個という構造が、軸の上に穂状に並ぶ形の小穂が多い。花の配列が2列になっていれば、全体の形は扁平な楕円形などになり、軸の周りに螺旋につけば、紡錘形などの形になる。

花には中心に雌しべ、周囲に雄しべがあるが、それ以外に花弁の名残のようなひもや針状の付属物がある場合があり、それらの有無・数や形は属や種を決める重要な手がかりとなる。ホタルイ属やミカヅキグサ属では、このような付属物がよくわかる。また、ワタスゲの綿毛はこれが結実後に伸びて広がったものである。テンツキ属やカヤツリグサ属では、鱗片の中には雄しべと雌しべしか入っておらず、花被の痕跡はない。]]></description>
         <link>http://graft.tajlea.biz/2009/11/post_76.html</link>
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         <pubDate>Mon, 30 Nov 2009 00:51:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>マイタケ</title>
         <description><![CDATA[マイタケ（舞茸）は、担子菌門サルノコシカケ科のキノコ。学名はGrifola frondosa (Dicks. ex Fr.) S. F. Gray。食用として馴染み深いキノコである。中国語名は「灰樹花」。

マイタケは世界中の暖温帯から温帯北部にかけて分布し、ナラ類、カシ類、シイ類といったブナ科樹木の大木の根株で心材に寄生して白色腐朽を引き起こす木材腐朽菌である。白色腐朽を起こした宿主心材にはオレンジ色の幅1-2mm幅の縞模様が生じる。

子実体は塊を形成し成長する。しばしば直径50cm以上、重さ10kg以上にも達する巨大なものも見られる。秋、9月下旬から10月上旬に掛けて宿主樹木の根元に毎年ではないものの、幾年にも渡って繰り返し発生する。子実体の形状は太い柄から何回にも渡って分枝し、その先端にへら状の小型の傘を群生するマイタケ型と呼ばれるタイプである。傘の裏には白色の細かい管孔が群生し、その内面に非アミロイド型の胞子をつける。
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食材としては香りに優れ、また、歯切れも良く、基本的に生食以外ほとんどの調理法でおいしく食べられる。炒め物、鍋料理、天ぷらなどによく利用される。ただし、タンパク質分解酵素を多く含むので、茶碗蒸しに生のまま用いると固まらなくなる。従って、茶碗蒸しに入れる場合は、この酵素を熱で失活させるため、数分間加熱してから用いるとよい。逆にこの性質を利用し、細かく刻んだ生のマイタケを肉にまぶしてから調理することで、固い肉も軟らかくなり旨みが増す。煮物、吸い物や卵とじなどには、料理そのものの色に影響を与える（黒っぽい色になる）ことから、料理店では慎重に取り扱いが行われる。 また、少量のマイタケをごく少量の塩をまぶして炙り熱燗の日本酒に入れて、マイタケのエキスを引き出して飲むマイタケ酒なるものもある。

今日の日本では非常になじみ深い食用キノコの一つとなっているが、人工栽培が盛んになる前は南関東の照葉樹林地帯以南では食習慣は一般的ではなかった。]]></description>
         <link>http://graft.tajlea.biz/2009/11/post_75.html</link>
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         <pubDate>Thu, 26 Nov 2009 01:22:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>事大主義</title>
         <description><![CDATA[大主義（じだいしゅぎ/サデジュイ）は、大に事（つか）えるという考えと行動を表す語。外交政策の1つでもある。

事大の語源は『孟子』の「以小事大」（小を以って大に事（つか）える）である。孟子には越が呉に仕えた例が知恵として書かれている。漢代以降、中国で儒教が国教化されると華夷思想に基づく世界観が定着し、またその具現化として冊封体制、周辺諸国にとっての事大朝貢体制が築かれることになる。

冊封体制による外交を「事大外交」と呼ぶ場合があり、この意味では新羅・高麗・李朝など朝鮮半島に生まれた王朝の多くは、中国大陸の中原を制した国家に対して事大してきたことになる。しかし中国王朝への朝貢しつつも、新羅や高麗は中国王朝との対決や独自の皇帝号の使用なども行い、硬軟織り交ぜた対中政策を取った。

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しかし李朝の場合、その政策は『事大交隣』といわれ、事大主義が外交方針として強いものだったとされる。李朝を開いた李成桂は、威化島回軍（1388年）の際に「小をもって大に事（つか）ふるは保国の道」と唱えて明との開戦を決定した当時の高麗政権を倒し、明王朝を開いた朱元璋もこれに応えて李朝建国直後の1392年に「声教自ら由らしむ」ことを条件に独立を保証する事を約した。16世紀朱子学の系統化が進むと、事大の姿勢はより強化されていく事になる。つまり、冊封体制を明確に君臣関係と捉え、大義名分論を基に「事大は君臣の分、時勢に関わらず誠をつくすのみ」と、本来保国の手段に過ぎなかった事大政策それ自体が目的化されるようになる。]]></description>
         <link>http://graft.tajlea.biz/2009/11/post_74.html</link>
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         <pubDate>Tue, 10 Nov 2009 15:30:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title> プロトピック</title>
         <description><![CDATA[プロトピックとは、1993年から治験として使われ始め1999年6月に認可された、タクロリムスという免疫抑制剤を外用剤として製剤したもの。元々臓器移植手術の際に用いられてきたもの（商品名プログラフ）だが、その濃度を0.1%にして外用剤にしている。（小児用は0.03%である。） 
ステロイドの「medium」の強さではないかと言われている。特に顔面や頸部において効果が高いとされ、ステロイドの副作用が出やすい部位でもあることから、好んで処方される。プロトピックは分子量が大きいため、正常な皮膚には作用せず、炎症が強く壊れた皮膚にのみ浸透していくことに由来している。 
使用開始初期にヒリヒリとした刺激感や火照りを感じる人もいるが、皮膚が慣れてくるにつれて徐々に治まってくる。 
妊娠している方には使用禁止である。授乳中も使用できないとされているが念のためというニュアンスである。 
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塗布後に直射日光を浴びたり、紫外線療法による治療中に使用することなどは避けるべきとされている。皮膚癌の発生率が高くなるという報告があるが、白人のデータであり日本人には当てはまらないとする意見もある。 
副作用としては、ニキビの増悪がある。カポジ水痘様発疹症の発生率が高くなるとの報告がある[15]。 
マウスの実験で悪性リンパ腫の増加があるという報告がある。メーカーでは、人間に使用した場合の影響はないと説明しているが、動物実験を根拠に危険を主張する人もいる。]]></description>
         <link>http://graft.tajlea.biz/2009/10/post_73.html</link>
         <guid>http://graft.tajlea.biz/2009/10/post_73.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 30 Oct 2009 15:55:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>具体音の導入</title>
         <description><![CDATA[ミュジーク・コンクレートにおけるサンプリング手法はその後、電子的なサンプラーにより、一般的なポップミュージックにも応用されるようになった。これは具体音の録音を音楽の一部として認識するという意味において特筆すべき事項である。音を録音してさらにそれを電子的な技術により変調させたものを使うという発想が一般に定着したのは、ミュジーク・コンクレートの功績が大きい。

ただしクラシック音楽の歴史において具体音を効果として盛り込む試みはすでに多く見られる。例えばレオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」での鳥笛など音の出るおもちゃ、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」での鉄のレールをハンマーで叩く音、マーラーの交響曲で使われる木づちや鎖など特殊な打楽器などである。セミクラシックと呼ばれるルロイ・アンダーソンの「タイプライター」では、題名どおりそのものを打楽器として用いている。
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音楽劇の中で劇中の小道具を音楽に取り込む用法としてはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、主役の靴職人ハンス・ザックスが宿敵ベックメッサーの歌の練習を邪魔して靴を叩く音を挿入したり、サティの舞台音楽「パラード」で大騒ぎの挙句ピストルやサイレンの音を挿入したりするなどの例が挙げられる（サイレンの音は、後にエドガー・ヴァレーズが「イオニザシオン」などで純音楽的効果として用いている）。これらは録音技術以前において具体音を音楽として取り込んでいる例である。

また具体音を楽音で模した例となると無数にある。シャルル＝ヴァランタン・アルカン、アルチュール・オネゲル、ルーズ・ランゴーが鉄道の音を模倣しているが、アルカンのころには既存の音楽の枠に具体音を押し込めていたのが、ランゴーのころには忠実な具体音の模写そのものが音楽になっている。]]></description>
         <link>http://graft.tajlea.biz/2009/10/post_72.html</link>
         <guid>http://graft.tajlea.biz/2009/10/post_72.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 20 Oct 2009 01:11:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>xy面内に観測可能なマクロの大きさの磁化ベクトルが</title>
         <description><![CDATA[xy面内に観測可能なマクロの大きさの磁化ベクトルが生じるのは、核スピンの波動関数がα + βのように複数のスピン状態が混合している形で表され、かつ核スピンの集合全体が同じスピン状態を持っている（個々の核スピンの波動関数がコヒーレントな状態である）場合に限られる。核スピンの波動関数のこのような状態をコヒーレンスという。 コヒーレンスがあることとxy面内に磁化ベクトルが存在することは等
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価ではない。例えば2つのスピンを含む系において波動関数がαα + ββというような状態でコヒーレントになっている場合、xy面内に磁化ベクトルは存在しない。xy面内に磁化ベクトルが生じるのは全スピン量子数が1だけことなる状態のコヒーレンス(一量子コヒーレンス)のみである。αα + ββのような二量子コヒーレンスやαβ + βαのようなゼロ量子コヒーレンスは磁化ベクトルを生じない。 熱平衡状態にあるスピン系に単一の回転磁場パルスを与えると、まず一量子コヒーレンスが生じる。この後、適切なタイミングで適切なパルスを与えることで二量子コヒーレンスやゼロ量子コヒーレンスを生じさせることができる。 一量子コヒーレンス以外のコヒーレンスは直接観測することはできないが、適切なタイミングで適切なパルスを与えることによって一量子コヒーレンスに変換することができ、この一量子コヒーレンスの磁化ベクトルとして間接的に検出することができる。 特定の相互作用を持つスピン系のみを観測しようとする測定手法は、特定のコヒーレンスを経由して発生した磁化ベクトルのみを観測するようにしている。このようなコヒーレンスの選別には磁場勾配パルスや位相サイクルといった手法が利用される。

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         <pubDate>Sat, 20 Jun 2009 05:45:10 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>独裁政治</title>
         <description><![CDATA[独裁政治（どくさいせいじ、英:dictatorship、独:Diktatur）とは、一個人、少数者または一党派が絶対的な政治権力を独占して握る政治体制を指す。独裁制とも言う。

「独裁政治」という言葉は、戦争や内乱などの非常事態において、法的委任の手続きに基づき独裁官に支配権を与える古代ローマの統治方法に由来する。

独裁政治は、一般に、社会の混乱期や、経済の長い停滞期に多く出現する。

近世の君主制との違いは世襲を伴わないことなどが上げられる。 軍事的な手続き（クーデター、内戦）によって独裁者となる場合も多いが、民主主義的な手続きの結果独裁者が生まれることもある。 ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは、民主主義、民主憲法（ヴァイマル憲法）のもとで独裁化した例である。

朝鮮民主主義人民共和国のように世襲が行われる場合もあるが、この場合は独裁制ではなく専制政治と化しているという評もある。

独裁的な政治体制の下では体制批判は許されず、個人の自由は著しく制限される。民衆は抑圧され、反対派は排除される事が多い。また、為政者の権力行使に抑制が効かずに、恣意的な国家運営に堕すこともあり、国家としての方向性を失って行く場合も多い。

権力分立や公職の多選禁止（アメリカが憲法修正22条で定める三選の禁止、韓国・チリにおける再選禁止など）は政治の独裁化を防ぐ理念に基づくものと考えられている。
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 専制政治（autocracy）との違い [編集]
ローマ時代の独裁制に注目したドイツ・ワイマール時代の政治学者カール・シュミットは、独裁制と専制政治の違いを「具体的例外性」にみいだしている。シュミットによると、独裁性は、非常時に現行法規を侵犯するが、それは法秩序を回復するという具体的目的に従属し、したがって独裁は、秩序回復ののちには当然に終了する例外的事態である。独裁がこの具体的例外性をうしなえば、専制政治に転化することになる。

さらにシュミットは、独裁を「委任的独裁」と「主権的独裁」に分類している。

委任的独裁は、現行の憲法秩序が危機におちいったとき、憲法秩序を維持するためにその機能を一時的に停止する独裁をいう。憲法の規定に非常大権がさだめられていれば、この独裁は形式的にも憲法に違反しておらず、「立憲的独裁」とよばれうる。

これに対して主権的独裁とは、現行憲法ではなく将来実現されるべき憲法秩序、政治イデオロギーにもとづいておこなわれる独裁をいう。この場合の独裁は、主権をもつ人民からその権限を委任されているがゆえにゆるされるとし、現行法秩序をまったく超越して成立する革命権力がこれに相当する。

主権的独裁の歴史的事例としては、フランス革命におけるロベスピエール独裁、ロシア革命や中国革命における共産党独裁があてはまるだろう。

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         <pubDate>Tue, 02 Jun 2009 07:50:16 +0900</pubDate>
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         <title>役料（やくりょう）</title>
         <description><![CDATA[役料（やくりょう）とは、江戸幕府が幕臣に支給した役職手当の1種。

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武士は基本的に主君から知行を与えられて、それに対応した軍役を義務として果たすものであった。江戸幕府の知行制度もこの方針に基づいて行われており、初期においては役職についても知行とは別個の給与などは与えられていなかった。しかし、幕府の役職人事が知行高のみならずその職務能力なども考慮して行われるようになると、優秀な人材を抜擢して要職に就けた場合、それに伴う経費の負担をその知行高の範囲では賄いきれない場合もあり、却ってその幕臣が困窮する事態も生じた。こうした事態の救済のために寛文5年3月18日（1665年）に番方を中心とした役料制度が定められた。『徳川実紀』によれば、大番頭2000俵、書院番頭・小姓組番頭1000俵、新番頭・百人組番頭700俵、持弓筒頭・先手頭・歩行頭・書院番組頭・小姓組組頭・小十人頭・目付・使番500俵と定められた。続いて翌年7月には留守居2000俵、大目付・町奉行1000俵、旗奉行・作事奉行・勘定頭700俵、槍奉行・留守居番・普請奉行500俵などと定められた。役料は春・夏・冬の3季に分割して米もしくは金によって支給された。寛文年間に役料として支出された総額は18万俵であったとされている。だが、財政的な事情などから天和2年（1682年）4月には役料を廃止して在職者の役料をそのまま当人の知行高に加えた。

その後、元禄2年（1689年）頃より、特定の役職に対する役料支給が行われ、同5年（1692年）には役料制度が正式に復活された。この時の制度は役職ごとに一定の石高を定め、その水準を満たさない知行保持者にのみ定額の役料を与えた。例えば、留守居・大番頭は5000石を基準としてそれ以下に1000俵、書院番頭・小姓番組頭は3000石以下に1000俵、大目付・町奉行・勘定奉行は3000石以下に700俵、百人組頭は3000石以下に500俵、作事奉行・普請奉行・槍奉行・持弓筒頭は2000石以下に300俵、先手頭・新番頭は1500石以下に300俵、留守居番・目付・使番・書院番組頭・小姓組組頭・徒頭・小十人頭は1000石以下に300俵、鉄砲方は1000石以下に200俵などの決まりがあった。元禄5年（1692年）から享保7年（1722年）までの30年間に在任した幕府役職者のうち、大目付・町奉行・勘定奉行就任者の79％、大番頭就任者の29％が役料支給の対象となった。

限られた幕府財政と役料制度とのバランスを図るべく、享保8年（1723年）6月に導入されたのが、足高制である。役職ごとに基準高を定め、それに不足する分の石高を在任中に限定して加増するものであった。同制度は翌享保9年（1724年）7月と元文4年（1739年）3月に一部修正が行われて、役料制度の基本とされた。ただし、遠国奉行などに関してはその職務の重要性と出費の機会の多さから足高とは別個に役料が支給された。

慶応3年9月26日（1867年10月23日）に幕府財政の金銀中心への移行に伴い、布衣以上の足高・役料・役扶持などを廃止して役金に統一するが、同年の大政奉還によって実際に機能する前に廃止されることになった。

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         <pubDate>Wed, 29 Apr 2009 15:40:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>王匡 (更始)</title>
         <description><![CDATA[王 匡（おう きょう、? - 25年）は、中国の新代の武将。荊州江夏郡新市県の人。緑林軍の創始者の1人。後に更始帝政権の重鎮となった。同時代の王莽の一族王匡 (新) とは別人である。

王莽の統治の末年に、王匡は同郷の王鳳と共に、地元の争議の調停役を務めていたが、衆に推されて数百人の民衆の頭領となった。そこへ、馬武、王常、成丹も加わり、離郷聚を攻撃した後、緑林山（荊州江夏郡当陽）に立てこもった。その軍勢は、数ヶ月の間に7～8千人に膨らんだという。地皇2年（21年）、荊州牧が2万の軍勢を率いて緑林軍を討伐しにきたが、王匡は雲杜（江夏郡）でこれを迎撃し、殲滅した。これをきっかけに、軍は5万人を超えたと称し、官軍も手を出せなくなった。

しかし地皇3年（22年）、疫病が発生して緑林軍は半数を喪失する大打撃を受け、緑林を離れて分散することになった。王常、成丹、張卬は藍口聚（南郡編県）へ入って「下江軍」と号し、王匡、王鳳、馬武、朱鮪は、南陽郡に入って「新市軍」と号した。同年7月、「平林軍」の陳牧、廖湛が新市軍に合流し、さらに11月には劉縯、劉秀兄弟の「舂陵軍」とも合流する。王匡らの連合軍は宛（南陽郡）を目指して進軍したが、小長安聚（南陽郡育陽県）の戦いで新の前隊大夫（新制の南陽太守）甄阜、屬正（新制の都尉）梁丘賜に敗北した。それでも下江軍が合流したおかげで、連合軍は態勢を立て直し、翌地皇4年（23年）1月、泚水の戦いで甄阜、梁丘賜を討ち取った。

 更始政権での活動 [編集]
その後、連合軍においては、劉縯と平林軍出身の劉玄とのいずれを天子として擁立するかが、諸将の間で議論となった。この際に、南陽の士大夫（舂陵の諸将など）と王常は劉縯、王匡らその他の諸将は劉玄を推している。結局劉縯は、分裂を避けるために、劉玄にその地位を譲った。こうして更始1年（23年）2月、劉玄は更始帝として即位し、王匡は定国上公に封じられた。

同年8月、王匡は、新の太師王匡 (新) 、国将哀章が守る洛陽を攻撃した。翌月、王匡は洛陽を陥落させ、王匡 (新) 、哀章を生け捕り、尽く処刑している。10月、更始帝を洛陽に迎え入れた。更始2年（24年）2月、更始帝が長安に遷都すると、王匡は比陽王に封じられた。しかしその後、張卬と共に三輔で横暴な振舞いを行ったとされる。更始3年（25年）、劉秀の部将鄧禹が河東郡へ進軍してくると、王匡、成丹、張卬らは、十数万の軍勢を率いてこれを迎え撃ったが、鄧禹の前に大敗し、河東を喪失した。王匡らは長安の更始帝の下へ逃げ戻っている。

 兵変と最期 [編集]
この年に、鄧禹軍に加えて赤眉軍が西進してくると、張卬が諸将に対し、「南陽に引き返すべきだ。敗北しても、再び緑林の生活に戻ればいい」旨を主張し、王匡を始め、多くの将の同意を得た。こうして王匡は、張卬、廖湛、胡殷、申屠建と共に、いったん南陽へ逃れることを更始帝に進言したが、更始帝は拒否した。結局、王匡は更始帝の命に従い、陳牧、成丹、趙萌と共に新豊（京兆尹）で赤眉軍を迎え撃つことになる。

ところが長安城内で張卬らが兵変を起こし、更始帝は新豊へ逃亡してくる。猜疑心を募らせた更始帝は、姻戚である趙萌以外の新豊の諸将も張卬の一味ではないかと疑った。そして、陳牧、成丹を呼び出し、これに応じた2人をまとめて誅殺してしまったのである。驚き恐れた王匡は、長安の張卬を頼って逃走し、更始帝に叛旗を翻した。だが、王匡、張卬らは、更始帝、趙萌、李松（更始政権の丞相）の反撃に遭い、激戦の末に敗走した。進退窮まった王匡、張卬らは、赤眉軍に降伏してこれを長安まで導き、同年9月、長安は陥落して更始政権は滅亡した。

しかし同年、王匡、胡殷は、光武帝（劉秀）が関中に派遣した尚書宗広に降伏し、これに従って洛陽の光武帝の下に向かうことになった。ところが、変心して安邑（河東郡）で逃亡を図ったために、宗広に捕えられて、王匡と胡殷は処刑されてしまう。

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         <pubDate>Tue, 14 Apr 2009 13:25:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>学生言葉</title>
         <description><![CDATA[学生言葉（がくせいことば）とは学生の間で用いられるスラングの一種で、以下のことを指す。

世間一般に学生と呼ばれる大学生の言葉。業界用語#大学を参照。 
中高生（生徒）の間で用いられる児童語と若者言葉の中間的な言葉。本項にて述べる。 

 あ行 [編集]
イラつく 
「イライラする」の意。「ムカつく」とほぼ同義。 
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 か行 [編集]
キレる 
「堪忍袋の緒が切れる」から転じたものか。相手の挑発に怒りをあらわにしたり、いきなり暴れ出すなど衝動的な行動をとること。「イラつく」「ムカつく」と共に小中高生の非行問題で必ず取り上げられる言葉。 

 さ行 [編集]
しらける（白ける） 
楽しくない、関心を失うの意。誰かが何かつまらないことを言ったとたんに急に静かになった（シーンとなる）時に「白けた～」というふうに使われることもある。 

 た行 [編集]
代返する 
（当事者に代わり）出席届けを出す。 
他中（たちゅう）、他高（たこう） 
自分とは違う中学・高校のことを指す。 
チクる 
（教師・親・警察に）密告する。 

 な行 [編集]
ノー勉 
何も勉強しないで試験に挑むこと。 

 ま行 [編集]
ムカつく 
むかっとくる、腹が立つ、癪に障るの意。別に学生言葉でも若者言葉でもないありふれた表現であるが、小中高生または10代後半から30代前半の若者の間で衝動的な動機による犯罪が多発しそれ以上の世代に対して不平不満を抱くことを意味する場合が殆どとなり、むかむかするという本来の意味から乖離している。「向っ腹（向腹）をたてる」が語源。 

 や行 [編集]
ヤマ（山）をはる 
定期考査や受験などの学力テストに備えて勉強するとき出題傾向を予想し、それを重点的にマスターすること。「ヤマをかける」とも]]></description>
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         <pubDate>Mon, 30 Mar 2009 13:50:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>平重衡</title>
         <description><![CDATA[平 重衡（たいら の しげひら）は、平安時代末期の武将、公卿。平清盛の五男。母は平時子。位階は従三位次いで正三位に昇り三位中将と称された。

平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺大仏を焼亡させた。墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首された。その将才は「武勇の器量に堪ふる」（『玉葉』治承5年閏2月15日条）と評される一方、その容姿は牡丹の花に例えられたという
父の清盛は保元の乱、平治の乱を勝ち抜いて平氏政権を樹立。継室の時子の子として生まれた重衡は幼少にして叙位し、平氏の公達として順調に昇進を重ね、治承3年（1179年）には左近衛権中将に進んだ。

だが、平氏の権勢の高まりは後白河法皇・院近臣との軋轢を生み、同年11月、清盛はクーデターを起こして院政を停止する（治承三年の政変）。この事件の際に重衡は後白河への奏上を行う使者となっている。

翌治承4年（1180年）5月、以仁王と源頼政が平氏打倒の挙兵に踏み切った（以仁王の挙兵）。この挙兵は早期に鎮圧されたが、その後も反平氏の挙兵が各地で相次いだ。8月に源頼朝が伊豆国で挙兵し、同年10月の富士川の戦いで平維盛の追討軍を破り、関東を制圧してした。さらに後白河と密接につながる園城寺や、関白・基房配流に反発する興福寺も公然と反平氏活動を始めた。


 南都焼討 [編集]
詳細は南都焼討を参照

重衡は清盛の命により、12月11日に園城寺を攻撃し寺を焼き払うと、12月25日に大軍を率いて南都へ向かった。興福寺衆徒は奈良坂と般若寺に垣楯・逆茂木を巡らせて迎えうつ。河内方面から侵攻した重衡の4万騎は興福寺衆徒の防御陣を突破し、南都へ迫った。28日、重衡の軍勢は南都へ攻め入って火を放ち、興福寺、東大寺の堂塔伽藍一宇残さず焼き尽し、多数の僧侶達が焼死した。この時に東大寺大仏も焼け落ちた。『平家物語』では、福井庄下司次郎太夫友方が明りを点ける為に民家に火をかけたところ風にあおられて延焼して大惨事になったとしているが、『延慶本平家物語』では計画的放火であった事を示唆している。放火は合戦の際の基本的な戦術として行われたものと思われるが、大仏殿や興福寺まで焼き払うような大規模な延焼は、重衡の予想を上回るものであったと考えられる。

この南都焼討は平氏の悪行の最たるものと非難され、実行した重衡は南都の衆徒からひどく憎まれた。翌治承5年（1181年）閏2月4日、清盛は死去する。同年3月、墨俣川の戦いで源行家・義円を破り、源氏の侵攻を食い止めた。


 一門都落ち [編集]
寿永2年（1183年）5月に倶利伽羅峠の戦いで維盛の平氏軍が源義仲に大敗し、平氏は京の放棄を余儀なくされた。重衡も妻の輔子とともに都落ちした。

重衡は勢力の回復を図る中心武将として活躍。同年10月の備中国・水島の戦いで足利義清を、同年11月の室山の戦いで再び行家をそれぞれ撃破して義仲に打撃を与えた。翌寿永3年（1184年）正月、源氏同士の抗争が起きて義仲は鎌倉の頼朝が派遣した範頼と義経率いる鎌倉源氏軍によって滅ぼされた。この間に平氏は摂津国・福原まで進出して京の奪回をうかがうまでに回復していた。

だが、同年2月の一ノ谷の戦いで平氏は範頼・義経の鎌倉源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中、重衡は馬を射られて捕らえられた。重衡を捕らえたのは『平家物語』では梶原景季と庄高家、『吾妻鏡』では梶原景時と庄家長[1]とされる。重衡は京へ護送され土肥実平が囚禁にあたった。後白河法皇は藤原定長を遣わして重衡の説得にあたるとともに、讃岐国・屋島に本営をおく平氏の総帥・宗盛に三種の神器と重衡との交換を交渉するが、これは拒絶された。
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同年3月、重衡は梶原景時が護送して鎌倉へ送られ、頼朝と引見した。その後、狩野宗茂に預けられたが、頼朝は重衡の器量に感心して厚遇し、妻の北条政子などは重衡をもてなすために侍女の千手の前を差し出している。頼朝は重衡を慰めるために宴をもうけ、工藤祐経が鼓を打って今様を謡い、千手の前は琵琶を弾き、重衡が横笛を吹いて楽しませている。『平家物語』は鎌倉での重衡の様子を描いており、千手の前は琵琶を弾き、朗詠を詠って虜囚の重衡を慰め、この貴人を思慕するようになった。

元暦2年（1185年）3月、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡し、この際に平氏の女たちは入水したが、重衡の妻の輔子は助け上げられ捕虜になっている。

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         <pubDate>Mon, 16 Mar 2009 11:10:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>SDガンダムフォース</title>
         <description><![CDATA[TVアニメガンダムシリーズの10作目にして、ガンダム生誕から25周年という節目に製作された、SDガンダム諸作品のうち、サンライズ谷原スタジオが母体となり､当初からTVアニメーションとして制作された初の作品。[3]バンダイがアメリカにおいてSDガンダムの商品展開するにあたって企画・製作されたもののため、アメリカで先行放映され、製作の基準もアメリカの基準に則っている部分が多い。ただし、アメリカでは第2クール（26話）までの放送に終わっている。

その商品展開上の性質から、原則として登場する人物以外のキャラクターは、ガンダムシリーズの中でも過去にアメリカでTV放映済みか、または正規映像ソフトがアメリカで発売済みの作品をモチーフとするものとされている。また、登場するキャラクターの一部は過去のSDガンダム作品に出典を持つ。他にも過去に発売されたSDガンダムシリーズのデザインが流用されており、ラクロア・天宮の主要なキャラクターは、SDガンダム英雄伝でのリニューアルデザインをベースとし、その他のキャラクターは、ラクロア側は『新SDガンダム外伝 鎧闘神戦記』の主要キャラクターと機兵、天宮側は『新SD戦国伝 超機動大将軍編』の主人公と敵側となっている。

本作品と『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』は、ガンダム史上において初めて、地上波テレビにおけるガンダムの新作シリーズ作品が同時期に放映される状態を作り出した。

作品解説
当初はシリアスなストーリーではなく、派遣会社のベビーシッターとなったキャプテンガンダムが、毎回ザコソルジャー達の盗んだものを取り返すという温和なストーリーだった。しかしアメリカからベビーシッターの設定にクレームがつき、現在の形となる。[5]

世界観の設定としては、従来のSDガンダムの世界観を踏襲している。また、旧作に登場した「スペリオルドラゴン」や「頑駄無結晶」などの、過去の作品における重要な要素も一部設定を変えて使われている。反面、種族自体の設定には、「ガンダムが喋ると口が点滅する」「騎士ガンダムの特異な生誕方法」「頑玉（武者頑駄無の生命）」等、独自の設定も多く含まれる。また、異文化に対するカルチャーショックを描いたシーンが多い。

世界設定などには時間や空間の要素を取り込んでいるため、表面的には明らかにされていないが作品の設定構造は複雑に練られており、タイムパラドックスにも触れている。子ども向け作品ながらSF作品ということを考慮しており、プロデューサーの堀口をして『ハードSF』と称されている。

さらに、SDガンダムで行われていたパロディも違った形で多く採用されており、一部のシーンはそれぞれの出展作品にちなんでいるものも存在する。

出演声優は、主にガンダムシリーズは初出演という人物も多い中[6]池田秀一や大塚明夫を初めとした往年の作品に出演していた声優も多く参加している。

本作は、今までにない新しい製作体制で行われていたため、最初のうちはスタッフも手探り状態であった。実際、フル3DCGの採用は往年のSDガンダムファンの中でも意見が分かれた。また、キャプテンガンダムのマスクの下に口があるということにも意見が多い[7]。

本作では監督に『ガンダム・ザ・ライド』で縁があり、CGやVFXなどの分野に詳しい実写映画監督の阿部雄一（現アベユーイチ）を投入し、副監督として数多くのアニメ作品において監督や演出を務めた経験を持つ近藤信宏起用された。副監督という役職を設けた理由は、実写とアニメ両方の面の要素を取り入れるためで、それぞれに明るい人物を配して新しいCGアニメーションを作るという意図を持った布陣であった。

モーションキャプチャー
アニメーション全体がトゥーンシェーディング方式を取り入れた3DCGにより表現された、滑らかなフル3DCGアニメーションとなっている。

CGアニメーション製作の際、本作にはモーションキャプチャーが使われており、実際の人間の動きをトレースしつつ描かれている。第1話で、キャプテンガンダムがシールドを軸にキックアクションをするシーンは、放映前より本手法の代表的な1シーンとして紹介されている。この手法によって、サンリオピューロランドのアトラクションとして作られた特別編「破壊大将軍あらわる!!ザコ?」では、プロレスラーの橋本真也がアクター（声優も兼ねている）として参加している。

ただし、モーションキャプチャーは全て人間によって行われるため、人以外のキャラクターの製作には困難が付き物であることが、ダルタニアン岡崎がブログによって触れている。

本作品のCG製作は、製作時の全ての要素の洗い出した末、出来上がったデータを最終的に合わせている。加えて、デフォルメキャラという、モーションキャプチャーの役者とは異なる要素を持ったキャラクターを動かすため、デザインの通り動かせない、またはそれらが困難を極めたこともあった。爆熱丸の最初のデザインは、アクションするごとに角や肩などが身体の他の部分に当たってしまうものだったため、デザインの調整が施されたり、背中から剣を取り出すと、SDキャラクターがCG上自らの頭を叩き割る結果になってしまうなど。関連項目のマーガレット市長の件もそれに含まれる。また、本作の試作時には「武者○伝」のキャラクターがよく使用されていた。

モーションキャプチャーを担当した俳優には「着ぐるみに入ってるように演じてくれ」という注文がなされるなどしている。また、多数のパーツが連鎖的に動き、弾かれたり絡まったりするロープの使用が3話以降使用禁止になり、後半はほとんどがワイヤーになっている。また、自然物は手間がかかるという理由で極力省かれている。

業界でもこの新しい製作体制は一目置かれており、スタッフがインタビューなどで度々それを語っている。実際、後述するように原作者の富野由悠季が興味を持ち、アポ無しで現場を見学しにいくほどであった。

製作の中で経験を重ねた結果、演出効果や製作効率は向上し、戦闘におけるスピード感や、ガンダムキャラクターの目の表情が多彩になるなど、描写は進歩していった。ザコソルジャーがひしめくシーンや天宮の合戦シーンなどにおいては、それぞれのアクションを明確に奥のキャラクターまで一つ一つ別に描写する[9]等、セルアニメでは困難と言える試みも行われている。製作自体は2002年から本格始動し、放映前にほぼ完成していた。アフレコなども早くから済んでいた[10]。

これらの努力により、ガンダムと人間の友情という要素を描いた本作品は、視聴者に好評を呼んだ。

CGテクニカルディレクターである鈴木健一自身が「1話と26話では雲泥の差」「1話ごとにどんどん進化している」と、賞賛している[12]。しかしスタッフ達は初期にも良いエピソードがあるので、是非見てほしいと語っている。

本作品にて培われたCG技術は、短編OVA『GUNDAM EVOLVE』の、鈴木健一が監督を務めた武者頑駄無編など、CG作品にいくつか生かされている。
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続編構想
本作品は、ジュネラルの正体・残りの五聖剣の行方・ソウルドライブの出所・敵役の生死不明者の謎・英知の園の巨人の足跡・ダークアクシズ要塞の行方など、謎のキーワードや伏線が残されたまま終了している。これらは、監督の阿部自身が『第二部・次元パトロール編』という続編を想定した伏線として残したことを、雑誌やトークショーなどで明かしている。

この構想は、ダークアクシズが次元を跨いだ侵略行為を行ったことから起こった次元の歪み（アベ曰く『次元骨折』）を正しに行くというストーリーである。現在はシュウト達が次元を行き来しているため次元は無事だが、生き残っているダークアクシズ要塞を放っておくと、ラクロアと天宮（ソラディオラーマ）が消滅してしまう。そのため、次元パトロールや大将軍、スペリオルドラゴンらは、それらの歪みを修復するために奔走するという展開である。ダークアクシズとの完全決着・シュウトとリリ、セーラの三角関係・敵に捕らえられ敵として現れるセーラなど、構想もいくつか練られている。

DVD-BOX特典『ザコザコアワーSpecial Edition』にて構想の一部が映像化されている。

商業展開
本作はBSジャパンでも放送されていた。また、ガンダムエースを除いてアニメ雑誌等で取り上げられることも少なかった。最高視聴率3.2%、最低視聴率1.0%、平均視聴率2.1%は、ガンダムシリーズの中で最も成績が悪い。

商品においては、TVシリーズとしての前作である『機動戦士ガンダムSEED』の低価格プラモデルを踏襲したプラモデルシリーズや、可動することを重点に置かれた玩具『SDフレクション』シリーズが主に製作された。しかし、前者は低価格を求めた結果造型や可動が以前と同様に簡略化され、逆にフレクションは後に解消されたものの初期の造型はアニメに似せているとは言い難く、SDガンダム玩具としても定価がやや高額であった。結果、プラモデル・フレクションシリーズ両者ともに、玩具の売り上げは不振に終わった。なお、SDフレクションの兄弟商品とも言える『SDアーカイブ』も不振であった。

フレクションシリーズには、企画されたもののお流れになったキャラクターがいくつか存在する。海外のみの発売となったものも複数ある。一部の未発売品は監督のアベが所蔵していたが、オールナイトイベントの際ファンの手に渡った。

オリジナルサウンドトラックは一作のみで、劇中で使用された一部の曲が収められていない。ガンダムのTVシリーズにおいてサウンドトラックが一つしか発売されていないのは本作のみである。

アメリカでも人気が振るわず、全話放送を前に打ち切られ、公式サイトも閉鎖されてしまった。

レンタルDVDとしてのリリースは全13巻をもって終わっているが、セルDVDの発売は放送終了から4年経っても告知すらされていなかった。2008年9月26日にセルDVDが発売された。それ以前より、アメリカでは放映された2クールまでセルDVDが発売されていたが、日本でのDVD-BOX発売決定告知の前に、放映されなかった後半のDVD化が進められた[13]。

テレビシリーズ放映中においてセルDVD及びVHSが長年展開されなかったガンダム作品は本作のみであり、BOX化は決まったものの、単品化は未定。

現在は、バンダイチャンネルにおける配信放送除いて終了している。数年の後、2008年5月9日にコレクションBOXの発売が発表された後は、様々な展開が再び行われ、DVD-BOX発売記念と連動したカードダスのスペシャル特典として、初の描き下ろしによるガンダムフォースがカードダス化されることとなったり、イベントも多数行われ、プラモデルの再発売も行われた。

ストーリー
人とロボットが共存する未来都市ネオトピアを舞台に、別の次元からやってきた「ダークアクシズ」と戦う「ガンダムフォース」の活躍とシュウト少年との交流を描く。やがて、「ダークアクシズ」の脅威にさらされる別の次元『異次元世界（ソラ・ディオラーマ）』にある二つの国、騎士ガンダム（ナイトガンダム）の国「ラクロア」と武者頑駄無（むしゃガンダム）の国「天宮（あーく）」へと戦いの舞台は移っていく。

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         <pubDate>Thu, 26 Feb 2009 14:46:03 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>宝治合戦/二月騒動/元寇（げんこう）</title>
         <description><![CDATA[宝治合戦（ほうじがっせん）は、鎌倉時代の1247年（宝治元年）に執権北条氏が御家人三浦氏の一族を滅ぼした事件である。三浦氏の乱とも呼ばれる。
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三浦氏は平安時代後期の源頼朝の平氏に対する挙兵に従った御家人で、承久の乱でも活躍するなど、北条氏とも協調関係を維持して幕政に影響力を持っていた。第3代執権北条泰時の女婿であった三浦泰村も、当初幕府内で勢力をふるっていた。

しかし後に泰村は、第5代執権北条時頼の外祖父である安達景盛や、その子である安達義景と対立する。これを契機に泰村は北条氏と疎遠になり、ついには時頼が安達景盛・義景父子の援助で挙兵し、三浦泰村ら三浦一族らをらを鎌倉で滅亡させた。また、泰村の妹婿の千葉秀胤も本国の上総国で討たれた。

この乱で鎌倉幕府の御家人として勢力を振るった三浦氏と秀胤系の千葉氏は滅亡する（千葉氏の本宗である千葉頼胤は北条氏方であった）。また、三浦氏の一族である和田氏は和田合戦後も一部が残存していたが、この戦いで三浦氏に味方した者が多く、再度の没落を余儀なくされた。わずかに残った一族は越後の領土を安堵され、後に揚北衆とよばれる中条氏などの越後和田氏（三浦和田氏）が形成される。

三浦方についた他の一族としては大江氏の一派である毛利氏がある。当時の当主であった毛利季光の一族はほとんど討ち死にしたが、越後に残った毛利経光の子孫が残存し、後に中国地方を統一した毛利元就が出た。また、鎌倉氏の一派である長尾氏も長尾定景の代に三浦氏の被官となっていたため、この戦いで一族がほぼ全滅したが、わずかに生き残った末裔が上杉氏に仕え（上杉氏から養子長尾藤景を迎えたとも）、南北朝時代以降興隆し、やがて長尾景春や長尾為景、上杉謙信（長尾景虎）を輩出する。

二月騒動（にがつそうどう）は、鎌倉時代の1272年（文永9年）2月に起こった事件。

1266年（文永3年）にもたらされた蒙古（元）国書に対する返書や、異国警固を巡り紛糾する最中に起こった事件で、得宗家を中心に鎌倉幕府を主導する北条氏の内紛。幕府に対して謀反を企てていたとされる六波羅探題南方の北条時輔、北条一門の名越氏らが執権北条時宗の命により討伐された事件で、2月11日に鎌倉で名越時章・教時兄弟、同月15日には京都で時輔がそれぞれ誅殺された。

この事件の結果、得宗家への反抗勢力は無くなったが、事件処理に当たった外戚の安達泰盛の勢力が肥大化し、御内人の平頼綱らとの対立が深まったとも指摘されている。

事件の経過
六波羅探題南方の北条時輔は執権時宗の庶兄で、1264年（文永元年）に時宗が連署に就任すると同時に、京都の朝廷を監視する幕府の出仕機関である六波羅探題南方として赴任した。南方の上位である北方は、先々代執権北条長時の弟で得宗支持の北条時茂であったが、1270年（文永7年）に死去、後任が赴任しない状態となっていた。

時輔は反鎌倉派と連帯して六波羅を主導していたとも言われ、蒙古国書への返書を巡り朝廷の動向が重要視されるようになると鎌倉は京都を警戒するようになっていたとも考えられており、1271年（文永8年）12月に長時の子北条義宗が北方として赴任し、六波羅評定衆の安達頼景が所領を没収されるなど、反鎌倉派の動きを封殺する措置が行われている。

名越氏は、5代執権北条時頼時代（在職1246-56）に名越光時が将軍頼経と結び、弟の時章、教時らと共に謀叛を企てて処罰されており（宮騒動）、時章の子である公時もこれに同調したが、まもなく露見した。光時はかろうじて助命されて伊豆へ流され、時章、教時は責められずに終わった。評定衆の教時は将軍宗尊親王の側近でもあり、親王が追放された際には警戒されていたと言われる。

残されている御教書から、追討は幕命によるもので、幕府執権北条時宗、前執権で連署北条政村らが主導した事が分かっている。1272年2月11日、鎌倉では名越時章（入道見西）、教時の両名が誅殺され、公家の中御門実隆らが処罰された。この事件においては時章は無実で時章追討は誤殺であったと言われ、事件後、得宗被官の追手5名が処刑されている。また、教時追討に対する賞罰は行われていない。京都へは同年2月15日に早馬で幕命が伝えられ、時輔は北条義宗に誅殺された（逐電し、吉野へ逃亡したという説もある）。

元寇（げんこう）とは、日本の鎌倉時代に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国（元）及びその服属政権となった高麗王国によって2度にわたり行われた日本侵攻(遠征)の、日本側の呼称である。1度目を文永の役（ぶんえいのえき・1274年）、2度目を弘安の役（こうあんのえき・1281年）という。蒙古襲来とも。中国語では元軍侵日戦争と称する。

1260年にモンゴル帝国の第5代皇帝（カアン、大ハーン）に即位した後のいわゆる「元」（大元ウルス、大元朝、元朝）[1]の皇帝クビライ・カアンは、1268年（日本の文永5年・大元朝の至元5年）に第2代皇帝オゴデイ以来の懸案であった南宋攻略を開始する一方、既に服属していた朝鮮半島の高麗を通じて、1266年に日本に初めて通交を求める使者を送ろうとしていた。『元史日本伝』によるとこの使節を送るのは高麗人で元の官吏である趙彝の進言からとある。しかし高麗の宋君斐・金賛が案内する蒙古の使節ら（正使・黒的、副使・殷弘）は巨済島まで来て、航海の困難を理由に引き返し、クビライに対して日本への通使の不要を説いた。クビライは予め「風濤の険阻を以って辞となすなかれ」と日本側への国書の手交を厳命していたが、その「風濤の険阻」を理由に使者の両名は渡海もせず引き返してきたことに憤慨してこれを却下、再び高麗に命令し、使節として高麗国王元宗の側近であった起居舎人・潘が派遣され、1268年正月に大宰府へと到着。大宰府の少弐資能（武藤資能）は蒙古国書（日本側では牒状と記録）[3]と高麗王書状[4]を受け取り、鎌倉幕府へ送達する。（しかし、日本側からの返牒の気配がなかったためか、太宰府来着から七ヶ月後に潘阜は高麗へ帰還しており、高麗は同年10月には潘阜の遣使が不首尾に終わった旨を元朝宮廷側に潘阜ら自らが赴くなどして報告している）

鎌倉幕府は5代執権北条時頼没後その嫡男北条時宗が若年のため傍系の6代北条長時、ついで7代北条政村が執政し、これを漸く成年に達した連署の北条時宗らが補佐する体制が敷かれていたが、この危機を前に1268年3月には時宗が8代執権に就任。幕府では関東申次の西園寺実氏に託して蒙古国書を朝廷へ回送し、黙殺を決定させる。さらに幕府は後嵯峨上皇没の直後の二月騒動で時宗の庶兄北条時輔等を粛正し統制を強化、さらに諸国への異国警護、異国降伏の祈祷を行わせる。宗教界にも影響を与え、日蓮は『立正安国論』を幕府に上程して国難を主張する。

同年には再び知門下省事・申思佺、侍郎・陳子厚および潘阜ら高麗使臣が正使・黒的、副使・殷弘をともなって派遣され、第2回目の使節が日本へ上陸したが、これを黙殺した。しかしながら、今度の使節は対馬に着いたのみで太宰府へは至らず、同島で住民らと諍いを起こし対馬島人の塔二郎と弥二郎という二名を捕らえて、これらとともに帰還した[5]。これを見た高麗に反乱を起していた三別抄から、共同で元に対抗する軍事的援助を求める使者[6]が来訪したがこれも黙殺した。

1271年9月、元使の趙良弼らが元への服属を命じる国書を携えてきた際には、幕府はこれを朝廷に進上した。朝廷は急いで伊勢に勅使を派遣し、神々に異国降伏を祈った。朝廷内部では返事を出すかどうかで論争されたが、幕府が返事を出す事に反対した事、朝廷内でも「元の要求に屈するべきではない」という強硬論が強かった事から、朝廷・幕府ともに国書を黙殺する事になった。クビライはその後も何度か日本に使者を出したが全て無視され、最終的に武力侵攻を決定する。

『元史高麗伝』によると当初より3つの案が検討された。

日本は島国で攻略が難しいので高麗に兵を置き国書により属国にする。この案では損害もでず、また高麗の統治強化および南宋と日本の分断が可能。 
まず南宋を攻略し服属せしめた漢人を使って日本を攻略する。この案は多数の兵力を準備でき蒙人高官が支持していた。 
高麗軍を使って東路より日本を攻略する。この案では兵力不足が懸念された。 
『高麗史』及び『元史』によれば、高麗の（のちの忠烈王の）執拗な要請があり、蒙人の高官は兵力不足を懸念して南宋攻略を先にすべきと主張したが、高麗を経由する東路からの日本侵攻が決定されたとされる。

クビライは高麗に命じて日本へ侵攻する艦船を作らせ、食糧などを供給した。この時の建造費は高麗が負担し、大小900艘と言われる船をわずか半年の突貫工事で完成させた。これらの動向を察知していた鎌倉幕府は、1272年に異国警護番役を設置し、鎮西奉行であった少弐氏（武藤氏）や大友氏に対して指揮を命じた。元は1273年2月には南宋の襄陽を落とし、三別抄も平定する。

文永の役
文永の役 
戦争：元寇 
年月日：1274年11月4日～25日 
場所：九州北部 
結果：元側の撤退 
交戦勢力 
鎌倉幕府地頭・御家人ら 元・高麗連合軍 
指揮官 
少弐景資 征東都元帥 忻都→忽敦 
諸将 
右副元帥 洪茶丘 
左副元帥 劉復亨 
中軍 
都督使 金方慶 
知兵馬事 朴之亮・金忻 
副使 任愷 
左翼? 
右軍使 金侁 
知兵馬事 韋得儒 
副使 孫世貞 
右翼? 
右軍使 金文庇 
知兵馬事 羅裕・朴保 
副使 潘阜 
（『高麗史』より）[9]
 
戦力 
不明 モンゴル・漢軍20000人 
高麗軍5600人

高麗水夫6700人

計32,300人
 
損害 
不明 不明（戦死は日本の十分の一）ビジュアル日本の歴史より 
 
'敵國降伏' - 筥崎宮伏敵門。文永の役後の社殿再建時に亀山上皇により寄進された宸筆の扁額と伝えられる。日本の文永11年・元の至元11年10月（1274年11月）に、忻都、金方慶らに率いられ、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人など非戦闘員を含む3万人を乗せた船が朝鮮の月浦（合浦。現在の馬山）を出発した。

10月5日に対馬、10月14日に壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させ、壱岐守護代の平景隆を自害に追い込んだ。さらに『新元史』によれば日蓮の書簡の記述に依るとして[10]、この時民衆を殺戮し、生き残った者の手の平に穴を開け、そこに革紐を通して船壁に吊るし見せしめにしたという。また高麗の将軍がこのときに捕虜とした子供男女200人を高麗王と王妃に献上したという記録が、高麗側に残っている[11]。

壱岐の状況が博多に伝わり、京都や鎌倉へ向けての急報が発せられる。日本側は少弐氏や大友氏をはじめ九州の御家人を中心として大宰府に集結しつつあった。

元軍は10月19日には博多湾に現れ、湾西端の今津に停泊し一部兵力を上陸させた。10月20日（太陽暦では11月25日）、船団は東に進み百道浜つづいて地行浜、長浜、那ノ津、須崎浜（博多）、東浜、箱崎浜に上陸した。博多湾西部から上陸した兵は、麁原（現在の祖原山）、別府に陣を構えた。

日本の武士は、当初は名乗りをあげての一騎打ちや、少人数での先駆けを試みたため一方的に損害を受けたが、昼頃には集団戦術に対応、また増援の到着により反撃に転じた。『八幡大菩薩愚童訓』（『八幡愚童訓』甲種本のひとつ）によると、百道浜より3キロ東の赤坂にて菊池武房らの軍勢230名ほどの騎馬が徒歩の部隊だった2千前後の元軍を撃破した。『蒙古襲来絵詞』によると竹崎季長が鳥飼潟から祖原へ追撃、上陸地点より500メートル付近まで押し返した。さらに後続を待たず先駆けを試み窮地に陥ったところ白石通泰らが救援に駆けつけ矢戦となった。

博多では海岸付近で激しい矢戦となり、日本軍は敗走したが殿軍の少弐景資が追撃してきた劉復亨を射倒すなどして[12]、内陸への侵入を阻止した。『高麗史』によると、やがて日暮となり戦闘を解し、日本軍は大宰府に帰った。

一方、元軍は博多を占拠したものの終日の激戦で矢が尽き、軍の編成が崩れた。このため、大宰府攻略をあきらめ、博多の市街に火をかけて焼き払い、撤退することにした。

『高麗史』金方慶伝によると、この夜に自陣に帰還した後の軍議と思われる部分が載っており、高麗軍の主将である金方慶と派遣軍総司令官である忽敦との間で、以下のようなやり取りがあったことが述べられている。

金方慶「兵法に『千里の県軍、その鋒当たるべからず』とあり[13]、本国よりも遠く離れ敵地に入った軍は、却って志気が上がり戦闘能力が高まるものである。我が軍は少なしといえども既に敵地に入っている。我が軍は自ずから戦うことになるがこれは秦穆公の孟明の『焚船』や漢の韓信の『背水の陣』の故事に沿うものである。再度戦わせて頂きたい」 
忽敦　「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』とあって[14]、少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、多数の兵力の前には結局捕虜にしかならないものである。疲弊した兵士を用い、日増しに敵軍が増えている状況で相対させるのは、完璧な策とは言えない。撤退すべきである」[15][16] 
このような議論があり、また劉復亨が負傷したこともあって、軍は撤退することになったと言う。しかしながら、後述のように文永の役での日本派遣軍の目的はもともと威力偵察の類いであり、このやり取りも当初からの撤退予定を見越したものではなかったか、という指摘もされている[17]。当時の艦船では、博多‐高麗間の北上は南風の晴れた昼でなければ危険であり、この季節では天気待ちで1ヶ月掛かる事もあった。

『八幡愚童訓』によると、この戦いの最中、鎌倉武士団が迎撃の拠点として加護を祈った筥崎八幡宮から兵火によるものか出火し、社殿は焼け落ちたものの御神体その他は唐櫃に納めて運び出し、辛くも避難出来たという。また夜中、炎上する箱崎八幡宮より出た白装束の者30人ばかりが矢を射掛けたところ、元兵は恐怖し夜明けも待たず（朝鮮通信使のころでも夜間の玄界灘渡海は避けていた）我先にと抜錨し撤退は壊走となり玄界灘で遭難した、という。ただし、この「白装束の者」たちは「白装束」という甚だしく「異形の者」たちであるため、鎌倉武士団その他の実際の軍勢では無く、「筥崎宮の八幡神による神威の顕現」の類いを描写したものと考えられる。『八幡愚童訓』や藤原兼仲（勘解由小路兼仲）の日記『勘仲記』の一写本によると、翌日、元の船団は姿を消しており、文永の役は終結する。『元史』では「世祖本紀」や「日本伝」などにこの時の損耗については特に述べられていないが、『高麗史』、『高麗史節要』では夜中に大いに風雨があり、艦船が難破するなどして損害があり、十一月二十七日（12月26日）に合浦に帰還した際には、派遣軍の不還者は1万3500余人に登ったという[18]。

定説では、日本の武士は名乗りを上げての一騎打ちしか戦い方を知らず一方的に敗退したが、幸運にも暴風雨、いわゆる神風が起きて、元の船団はその夜のうちに撤退したとされる。しかし、これに関しては史料に矛盾する。詳しくは後述の神風を参照。

元は撤退し、対南宋戦争が佳境に入ったことから、ひとまず主力は江南に向けられる事になった。

なお、文永の役は侵攻というより、威力偵察ではないのかとの説もある。根拠として、本来モンゴル帝国の軍事行動では、事前に兵力100〜1万規模での敵地への威力偵察を数度段階的に行った後、本格的な侵攻を行う場合が多く、また『元史』「日本伝」には元軍の矢がすぐに尽きたという記述が見られることと、3万人程度（中には非戦闘員もいる）という少ない兵力からこの説も根強い。『元史』「日本伝」は元側の記録であり、自分達で矢が尽きたと記録しているため信憑性は高いと見られる。本格的に侵攻し領土とする、または服属させるには、3万人程の人数で、当時の主力武器である弓の矢がすぐに尽きる程度の準備で来るとは考えにくい。元軍は大陸での野戦でも、騎馬兵の機動力を生かし、敵と一定の距離を保って馬上からの騎射で相手を損耗させる事を主な戦法の一つにしている。[要出典]

弘安の役
弘安の役 
戦争：元寇 
年月日：1281年6月9日～7月23日 
場所：九州北部 
結果：暴風雨により元軍壊滅 
交戦勢力 
鎌倉幕府地頭・御家人ら 元・高麗連合軍 
指揮官 
北条実政 総司令官 
阿剌罕 → 阿塔海

諸将
范文虎
李庭
忻都
洪茶丘
金方慶

戦力 
約40,000人 142,029人 
損害 
不明 110,000人戦死・溺死(「ビジュアル日本の歴史」より) 
 
1275年（日本の建治元年・元の至元十二年）、クビライは再び礼部侍郎杜世忠を正使とする使者を日本に送る。北条時宗は鎌倉の龍ノ口刑場（江ノ島付近）で杜世忠以下5名を斬首に処した（これは、使者が日本の国情を詳細に記録・偵察した、間諜（スパイ）としての性質を強く帯びていたためと言われる）。

史跡元寇防塁
東区筥松。本所の周辺は埋め立てられ、現在、本碑は海岸線から離れたところに位置する（2004年8月撮影）。1279年（日本の弘安二年・元の至元十六年）、元は江南軍司令官である南宋の旧臣范文虎の進言により、使者が殺されたことを知らないまま周福を正使とする使者を再度送ったが、大宰府にて全員斬首に処される（総計、5名という説が有力）。

この年に南宋を完全征服した元は、日本との同盟や南宋への牽制の必要もなくなった（後項参照）うえ、クビライは逃げ出した水夫より使者の処刑の報を知り、特に、通常の使者よりも高位（礼部侍郎）であった杜世忠の処刑に腹を立て、日本への再度の侵攻を計画し、1280年には侵攻準備のため征東行省を設置している。

1281年（日本の弘安四年・元の至元十八年）、元・高麗軍を主力とした東路軍4万と、旧南宋軍を主力とした江南軍10万、計14万の軍が日本に向けて出発した。

元寇防塁しかし、日本側は既に防衛体制を整えていた。博多沿岸に約20kmにも及ぶ防塁（元寇防塁）を築いてこれを迎えたのである（現代戦においては上陸側は守備側の3倍の兵力がなくては勝てないと言われている）。この防塁はもっとも頑強な部分で高さ3メートル、幅2メートル以上ともされている。いち早く到着した東路軍は防塁のない志賀島に上陸するが、日本軍の斬り込みを受ける。文永の役によって元軍の戦法を周知していた日本軍は優勢に戦い、元軍を海上に撤退させた。さらに小舟での襲撃などにより元軍を悩ませる武士も少なくなかった（一方で河野通有などのように石弓によって重傷を負った武士もいた）。

『蒙古襲来絵詞』より。弘安の役における竹崎季長らによる元の軍船への斬り込みを描いたもの江南軍は、総司令官右丞相阿刺罕が病気のため阿塔海に交代したこともあり、東路軍より遅れてやってきたが、両軍は、平戸鷹島付近にて合流した。しかしここで暴風雨が襲来し、元の軍船は浮いているだけの状態となった。これを好機と見た武士らは元軍に襲いかかり、これを殲滅した。辛うじて陸地にいた元軍兵士も、旧暦7月7日（ユリウス暦7月23日）の竹崎季長らによる鷹島奇襲などでほぼ消滅した。元軍で帰還できた兵士は、のちに解放された捕虜を含めて全体の1、2割だと言われる。なお、日本軍は高麗人とモンゴル人、および漢人は捕虜として捕らえず殺害したが、交流のあった南宋人は捕虜として命を助け、大切に庇護したという。博多の唐人町は南宋人の街であるともいわれる。この戦いによって元軍の海軍戦力の3分の2以上が失われ、残った軍船も、相当数が破損された。

なお、弘安の役における両軍の兵力は、元・高麗軍が約14万（東路軍4万、江南軍10万）、鎌倉軍が約4万だとされる。

日本の被害
「伏敵編」所取の「高祖遺文録」に次のように残っている。この「遺文録』は、日蓮の遺文を集めた記事集である。

《去文永十一年（太歳甲戊）十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉（そうまじょう）等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取（いけどり）ニシ、女ヲハ或ハ取集（とりあつめ）テ、手ヲトヲシテ船ニ結付（むすびつけ）或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是（またかくのごとし）、》 
「百姓」＝一般人は「男ヲハ或ハ殺シ、或ハ生取ニシ」ている状況とともに「女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生取ニス」 とある。そして、「男」と「女」に懸かるのであろうか、「一人モ助カル者ナシ」と書かれている。壱岐でも、同様の残虐な仕打ちがなされた。この史料を取めている「伏敵編」には、「按（あんずるに）」として、編者のコメントがある。 ここでは、高麗の前身の国家である「百済」を引き合いに出し「手掌ヲ穿傷……」（手の平に穴をあけてそこへ縄を通す」の意）云々のやり方を、朝鮮半島において古来より続く伝統的行為としている。まさに、この残虐行為を証拠として高麗人の仕業、と編者は判断している。日蓮は、対馬や壱岐、あるいは九州本土における惨劇を『高祖遺文録」の各個所で言及している

『日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇』に「二島百姓等男はあるいは殺あるいは虜、女は一所に集め、手を徹、舷に結付虜の者は一人も害さざるなし。肥前国松浦党数百人伐虜さる。この国の百姓男女等、壱岐・対馬の如し、」《皆人の当時の壱岐対馬の様にならせ給（たま）はん事思ひやり候へば涙も留まらず。》（「類纂高祖遺文録」、改題「類纂日蓮聖人遺文集平成版」）

また他所で、《壱岐対馬九国の兵士並びに男女、多く或は殺され或は擒（と）られ或は海に入り或は崖より堕（お）ちし者幾千万と云ふ事なし。》（同右書）とある。なお、対馬→壱岐を侵した後、元艦船隊は鷹島へ向かった。そして、上陸軍を揚げている。「八幡愚童記」（伏敵編」所収）に は、《同十六日、十七日平戸能古、鷹島辺（あたり）の男女多く捕（とらわ）らる。松浦党敗北す。》 とある。「男女」が「捕らる」のだから、捕囚され強制連行されたことにほかならない。

その後の日本では、元寇の時、蒙古・高麗軍が日本を襲ったことを、「蒙古高句麗の鬼が来る」といって怖れたことから、転じて恐ろしいものの代表として子供の躾けなどで、「むくりこくり、鬼が来る」とおどす風習などとなり全国に広がった。モッコの子守唄（青森県　木造町）のように「泣けば山がらモッコくるね、泣がねでねんねしな」などと、昔の蒙古襲来の怖さを子守唄にしたものなど、上記の残虐行為への恐怖を証明する民間伝承は全国に存在する。

また元寇への復讐の意味合いから倭寇の活動が活発化したきっかけとも言う説がある。

影響
クビライは本格的に3度目の日本侵略を計画し、1287年に一旦解散した征東行省を再度開設し、高麗忠烈王が丞相に就任したが、この時期に元の内部でも反乱が続き、日本へ軍が出せる状態ではなくなり、クビライの死と共に完全に頓挫した。なお、正安3年11月（1301年）に薩摩国甑島の沖に異国船が出現し、うち1隻から襲撃を受けている。これについては、元の艦隊が偶発的に同地に辿り着いて上陸を試みたものと見られている。

文永の役後、幕府は博多湾の防備を強化しようとした。しかしこの戦いで日本側が物質的に得たものは無く、見返りとしての恩賞は御家人たちの満足のいくものではなかった。中には竹崎季長などのように鎌倉まで赴いて直接幕府へ訴え出て、恩賞を得るといったケースもあった。

弘安の役後、幕府は元軍の再度の襲来に備えて御家人の統制を進めたが、文永の役に続き弘安の役においても十分な恩賞給与がなされなかったため、戦費で窮迫した御家人達は借金に苦しむようになった。幕府は徳政令を発布して御家人の困窮に対応しようとしたが、御家人の不満は完全には解消されなかった。

一方、当時の日本に「元に勝ったのは、公家などの貴族たちが、勝利や平和についての歌を作って詠んだ、言霊の結果である」あるいは「僧侶や神官らの折伏（しゃくぶく）や祈祷による結果である」との認識が広く存在していた。実際に弘安4年から翌年にかけて九州の諸社及び伊勢神宮に対して「興行法」と呼ばれる一種の徳政令が発布されて、幕府の安堵状が出されている御家人領も含めた全ての旧神領を神社へ返還するよう命じられている。

当時の日本国内では、対元戦争を日本の神と元の神の争いと見る観念が広く共有されており、歌詠みや諸社による折伏・祈祷は日本の神の力を強めるものと認識されていた。これを天人相関思想というが、日本を救った暴風雨を神風と呼ぶこととなったのも、この天人相関思想に起因するという説が有力となっている。また、神風によって日本が救われたという出来事は「神国思想」（＝日本は神国なのだから負けるはずがないという考え）を日本人に広く浸透させ、それが太平洋戦争末期の日本軍や国民思想の非合理性の温床となり、神風特別攻撃隊をはじめ数々の悲劇を生んだとも言われている。

貨幣経済の浸透や百姓階層の分化とそれに伴う村落社会の形成といった13世紀半ばから進行していた日本社会の変動は、元寇の影響によってますます加速の度合いを強めた。そして、御家人階層の没落傾向に対して新興階層である悪党の活動が活発化していき、この動きは鎌倉幕府滅亡へとつながっていく。

元寇の諸相
日本侵攻の理由
文永の役の理由については南宋への牽制であり、少なくともクビライは最初から日本侵攻を望んでいたわけではないと考えられている。また、短期間での帰還理由についても、自主的撤退とする説が出されている。

それは、日本側の対応を確認するため。これは、軍事的に言えば「威力偵察」と呼ばれているものであり、ごく基本的な戦術のひとつである。 
ある程度の損害を与え、その後の交渉で日本に要求をのませるようにするため。これは、元がたびたび使っている戦法であり今回もそれに準じたものということである。 
これは、当時の元が日本に使者を送った理由や情勢を考えると、至極妥当だとする考えである。

威力偵察目的であったと言う傍証として、時の元の水軍には長期戦略に対する装備の用意はなく、そのため一日で矢を撃ち尽くして去っていったという、元側の記録が残っている。

一方で、南宋が滅んだ後の弘安の役については様々な説がある。有力なものとしては、南宋を降した後に旧南宋軍を日本攻撃にあたらせ、消耗させるためと言うものがある。旧南宋軍は被征服者のため元への忠誠心も全く無く、さらに元々南宋は金で兵士を募集する募兵という形をとっており、数は多いが所詮は寄せ集めであり、士気・忠誠心も低く、戦闘能力も高くなかった。また軍を解散させると職を失った大量の兵士達が社会不安の要因となってしまう。

近年の調査では、博多湾の底で見つかった元の軍船から、農業用の鋤や鍬などが見つかっている。『元史』日本伝　至元十八年正月条によると、クビライは遠征に先立って大都に遠征軍の指揮官である阿剌罕、范文虎、忻都、洪茶丘らを召集し勅を下しているが、そのなかで「朕、漢人の言に聞くに、『人の家、国を取るには百姓土地を得んと欲す。もし尽く百姓を殺さば徒に地を得るも何に用いん』」とも述べており、このため、弘安の役で戦争に勝利した暁には屯田を目的として長期的な日本の占領・支配することを意図していたのではないかと考えられている。これをもって侵攻の意図と見る見解があり、14万人という過剰な人員のうち、旧南宋の兵員からなる江南軍10万人は軍隊兼移民団だったのでは、と言う見解も出されている。元にとっては忠誠心のない軍を遠征に投入し、遠い日本に所払いするという一石二鳥の作戦であったと思われる。[21]

 高麗の関与
『高麗史』によると1272年に、高麗の王世子の諶（しん、後の忠烈王）が、大元朝のクビライ皇帝に「惟んみるに、日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔使を発し、軍容を継耀かし、戦艦兵糧まさに、須いる所あらん、もし此事を以って臣に委ねなば、勉めて心力を尽くして　小しく王師を助くるに庶幾（ちか）からん」と具申したとある。また「元史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」との記述がある[8]。これに対して忠烈王の発言の所以を高麗の国内事情に求める向きもある。高麗はモンゴルの侵攻前は武臣が王を傀儡化して政権を執っており、王はモンゴルの兵力を借りることによって王権を奪い返した。それ以後、高麗王はほとんどモンゴルと一体化し、モンゴル名を貰い、モンゴル皇帝の娘を王妃にしモンゴル皇帝であるクビライ王家の娘婿（キュレゲン、グレゲン）となる姻族、「駙馬高麗国王家」となっていた[23]。これに反対する勢力は反乱を起こし、モンゴルにより鎮圧されるが、一部はなお激しい抵抗を続けていた。これが三別抄である。忠烈王の発言は王権を保つためにクビライの意を迎えようとしたとする見解がある。上述の3策のうち、高麗ルートを選ばせたのもモンゴル兵力が高麗から離れてしまうことを恐れたためとも考えられる。

 蒙古国書・元使殺害
東大寺尊勝院所蔵、東大寺宗性筆の「蒙古國牒状」『調伏異朝怨敵抄』。1268年にクビライの意向を受けた高麗牒使・潘阜がもたらした国書の忠実な模写と考えられている。元が最初に送った国書であるが、これに関しては東洋史学者は概ね他の歴代中国王朝の国書と比べて驚くほど低姿勢であると見ているのに対して、日本史学者は高圧的と見る傾向にあると言われる[24]。wikisource:蒙古皇帝国書を参照のこと。ちなみに、北条時宗の反対で出される事はなかったものの、朝廷がクビライに出そうとした返書は「日本は天照大神以来の神国であって、外国に臣従する謂れはない」とするかなり過激な内容だったとも伝えられている。

また使者に対する殺害に関して、彼らがスパイ行為を行っていたためと言う見解がある。文永の役以前の使者の行動はかなり自由で、道中では色々な情報を集めることができた。そのため、使者による間諜行為がおこなわれたようである。『八幡大菩薩愚童訓』には「夜々ニ筑紫之地ヲ見廻、船戦之場懸足逃道ニ至マテ、差図ヲ書」とあり、『元史』趙良弼伝にも「使日本趙良弼、至太宰府而還、具以日本君臣爵号、州郡名数、風俗土宜来上」とある。こういった間諜行為が考慮されてか、文永の役以降は使者を斬るようになる。また、武家政権である鎌倉幕府の性格からの武断的措置であるとする解釈や、対外危機を意識させ防戦体制を整える上での決定的措置であるとする考え方などがある。

元使殺害の評価については賛否両論がある。同時代では日蓮が批判し、後世の評価では2回目の日本侵攻の口実になった暴挙であると評価する論者と、元の2回目の対日侵攻には影響を与えなかった、あるいは国難に対しては手本にするべき好例であると肯定的に評価する『大日本史』や、頼山陽らがいる。

 神風
文永の役における蒙古軍の撤退に関して、日本側の史料には一夜明けると蒙古船が消失していた事実が記されているのみとされる。公家の広橋兼仲の日記『勘仲記』には、伝聞として逆風が吹いたことを記されている。高麗の史料、『高麗史』などには、撤退途中に風雨が起きて多数が座礁した事が記されている。しかし日本側の史料にその記載が無い。気象学的には過去の統計に台風の渡来記録が無いことから、台風以外の気象現象という見解もとられている。文永の役に関しては、台風の可能性はほぼなかったと、今日では見なす者が多い。

弘安の役においても、当時の日本が知り得なかった江南軍壊滅の理由を台風や熱帯低気圧の影響としながらも、博多沖の東路軍は、それとは違った理由で壊滅したという説もある。

文永の役については現在では壊滅的な被害があったかについても含め多くの疑問が持たれているが、弘安四年七月三十日から翌閏七月一日（1281年8月15日 - 8月16日）にかけては京都でも激しい風雨に見舞われたことが日記類などの記録にあるため、弘安の役での東路・江南両軍の壊滅の原因は台風であるとの説は現在でも有力視されている。

なお、軍歌の「元寇」の歌詞にも『弘安四年夏の頃』という一節があるが、文永の役に関しては何も触れてはいない。

軍事面
かつては元の集団戦術に対して、当時の日本は一騎打ちを基本とした戦い方をしていたと言われており、また元軍には毒矢、てつはうなどの最新兵器のために各地で日本軍は苦戦したと言われていた。しかし、現在の研究では双方共に被害を出し、日本の武士達も集団戦術に対応したと考えられる。

日本側の弘安の役での戦術や対策としては、先述の防塁に楯を用いた防御。 
夜間、日本側からの小舟に分乗して、元船を奇襲。狭い船内での斬り合いでは、日本の武士の方に分があった。 
合流するはずだった江南軍は、総司令官の交替と多人数による混乱により統率が取れず、東路軍との合流が1ケ月半ほど遅れた。 
一方、東路軍は度重なる日本軍のコマンド作戦により、博多沖の海上で釘付け状態となり、やがて食料や水不足と発生した疫病により「兵糧攻め」と同じ状態になって疲弊していた。 
江南軍が遅れて出発したが、そのために台風時期と重なり、合流前にほぼ壊滅状態。博多沖の東路軍も時間差で、同じ台風ないしは熱帯低気圧によって壊滅したと見なされている。 
その他、敗因はさまざまに語られるが、上記のとおり重複する点も含めて、日本軍が元軍の上陸前に船や陸上から攻撃を与えたことも要因の一つである。遊牧民族であるモンゴル人は船上の戦法を心得ておらず、モンゴル軍が有効に活用し、連戦連勝を重ねてきた得意の騎馬隊を上陸戦のため使うことができなかった。また、暴風雨によって多くの船がもろくも沈んだ理由として、船を服属させた高麗人や越人（ベトナム人）に作らせたことにあるとされる。彼らはすでにモンゴル人支配の不満を募らせており、輸送船の造船は急務でもあり、突貫工事的に手抜きによって建造されていた。また、兵士も占領した高麗人や漢民族を徴用した多民族軍であったため、士気が低かったと思われる。江南軍のほとんどが嘗ての南宋の兵であり、放っておけば社会不安の要因となる彼らを厄介払いする目的もあったと言われる[26]（それを裏付けるように、モンゴルの司令官たちが乗った船は一隻も沈んでおらず、江南軍に従軍した兵士達の墓も旧南宋の領内では確認されていない）。また、『高麗史』金方慶伝によると、高麗は軍船を建造するのに「蛮様」（南宋様式）の船[27]にしたのでは建設費がかさみ期限には間に合わないので、高麗様式の船を造船したとされており、軍船の準備が整っているので日本を征服しましょうとの忠烈王によるクビライへの進言は実態とまったく異なることであったことが記されている[28]。

その他の説
なお、国家によっては異なる歴史解釈を行なっている。例えば、韓国の高等学校歴史教科書(国定）[29]から引用すれば、

元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵器の供給、兵士の動員を高麗に強要した。 
こうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。 
元は日本遠征のため、高麗に征東行省という役所を置いた。 
征東行省は日本遠征が失敗した後には高麗との公的連絡機関として運営された。 
と記述されており、高麗は元に強制されて日本へ兵を送ったという解釈を行なっている。
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         <pubDate>Tue, 10 Feb 2009 11:13:12 +0900</pubDate>
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         <title>蒼き流星SPTレイズナー</title>
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『蒼き流星SPTレイズナー』（あおきりゅうせい エスピーティー レイズナー）は、1985年（昭和60年）10月3日から1986年（昭和61年）6月26日まで日本テレビ系で毎週木曜日17：30 - 18：00に[1]全38話が放送された、サンライズ製作のSFアニメ（ロボットアニメ）である。完結編は1986年10月21日にOVAで発売された。

1996年、人類は地球を飛び出して火星に進出したが、アメリカとソ連の冷戦もまた火星にまで拡大していた。同年10月3日、国連主催のコズミック・カルチャー・クラブ（宇宙体験教室）に選ばれた少年少女達は、火星に到着して間もなく、突如現われた謎の機動兵器・SPTによる攻撃に晒されてしまう。そんな窮地に陥った彼らを救ったのは、青いSPTを駆る少年アルバトロ・ナル・エイジ・アスカであった。彼はグラドス星によって地球が狙われていること、そして自分が地球とグラドスの混血であることを告げる。コズミック・カルチャー・クラブの少年少女達は、エイジに不信の眼差しを向けながらも、戦いの中で徐々に絆を深めていく。そして共に地球に帰る為、彼らは火星を脱出し苦しい旅に出発した。

本作の特徴の1つとして、当時の世界情勢である米ソ冷戦を扱った舞台設定が挙げられる。現実の冷戦は、放映開始から6年後の1991年にソ連崩壊をもって終結するが、放映当時の1985年は、ソ連のゴルバチョフ政権が国内の改革（ペレストロイカ）を進める一方、米国レーガン政権とSDI計画を巡って対立を深めており、宇宙開発時代を迎えてもなお米ソ冷戦が継続・拡大しているという設定には、十分な現実味があった。

展開される物語は、前期は火星脱出を巡る追撃隊との攻防、後期はグラドスに占領された後の地球での戦いを描いている。前期に登場した少年少女たちが青年に成長し、ある者は武器を手に侵略者に抵抗し、ある者は書物を手に地球人の文化を守り、また別の者はグラドスの支配階級に入り込んで（第2次世界大戦敗戦後の日本をイメージしたとも言われる）暗躍し、それぞれの場所でそれぞれの戦争を繰り広げていた。前期では宇宙服を身にまとっていた主人公達が、後期に入ると一転、本放送当時人気を集めていた『北斗の拳』や『マッドマックス』を髣髴とさせる退廃した世界でたくましく生き、戦う様子を描いている。「侵略に対する反抗」という構図が主流のロボットアニメにおいて、「侵略が完了した後の、言うなれば主人公側の陣営が敗北した後の占領下における体制へのレジスタンス運動」というテーマを描いた異色の作品であると言えよう。

ロボットアニメの要のアクションも、レイズナーの特徴と言えるV-MAX機能を生かした演出で躍動感溢れる戦闘シーンが数々描かれ、視聴者を魅了した。後期には強力なライバルとして、狂気に満ちたグラドス特殊部隊「死鬼隊」の4人組が登場し、それぞれが特殊な戦法で肉弾戦を繰り広げ、またグラドス側も強化されたV-MAXを用いるなど、見所がさらに増している。

オープニングアニメーションは、スピード感と迫力溢れる構成で、現在でも評価が高い（特に後期版）。また、主題歌のサビ部分に入る前に本編のダイジェストが挿入されるという斬新な演出も、視聴者に強い印象を残した。

しかし後述の事情で、後期最終話は強引に最終決戦、そして主人公のライバルとの一騎打ちに持ち込み、しかもその勝敗は不明、その上伏線として口にされていた「グラドスの刻印」の謎は未解明という惨たる結末に終わった。後にこれらはすべて後に出たOVA版で一応は描写されたが、当初の全47話版の未描写部分を描くにはあまりにも不十分であり、後述するレイズナーMARK-IIや後期OPに一瞬登場する紫のオーラのV-MAXらしき機能を使用するザカールに続く謎のライバルSPT等、設定までは起こされながら、埋もれていったメカや伏線が数多く存在する不遇の作品となってしまった。

スタッフ
原案：矢立肇 
原作：伊東恒久、高橋良輔 
監督：高橋良輔 
脚本：星山博之、五武冬史、平野靖士、伊東恒久、遠藤明吾、高橋良輔 
キャラクターデザイン：谷口守泰 
メカニカルデザイン：大河原邦男 
作画監督：谷口守泰、村中博美、貴志夫美子、八幡正、伊東誠、桜井美知代、本橋秀之、佐藤千春、中村悟、沢田正人 
メカニカル作監：吉田徹、沖浦啓之 
音楽：乾裕樹 
プロデューサー：銀谷精一（日本テレビ）、木本隆彦（読売広告社）、植田益朗（日本サンライズ） 
製作：日本テレビ、読売広告社、日本サンライズ（現・サンライズ） 

主題歌
OP：「メロスのように -LONELY WAY-」（作詞：秋元康、作曲：中崎英也、歌：AIRMAIL from NAGASAKI） 
ED（～25話）：「5分だけのわがまま」（作詞：秋元康、作曲：中崎英也、歌：富沢聖子） 
ED（26話～）：「LA ROSE ROUGE」（作詞：河奈みその、作曲：林哲司、歌：富沢聖子） 

登場人物（キャスト）
アルバトロ・ナル・エイジ・アスカ（演：井上和彦） 
本作の主人公。アポロ計画以前のアポロＸ-0計画により月で遭難し、グラドス人の調査隊に救助された地球人宇宙飛行士の父ケン・アスカと、グラドス人の母との間に生まれた混血児。グラドスによって地球が狙われている事を知らせるため、グラドスの艦隊に密航してSPTレイズナーを強奪、火星にやってきた。地球に到着後、グラドスの総攻撃に単身立ち向かい行方不明になったが、地球制圧後再びその姿を現し、レジスタンスを側面から支援した。物語後半ではトンファーを用いた我流拳法を使うようになる。物語前半は「僕」という一人称を用いていたが、物語後半では「俺」に変化していた。 
アンナ・ステファニー（演：江森浩子） 
コズミック・カルチャー・クラブの最年少の少女。本作のヒロインにして語り部役も務める。仲間の中で最初にエイジに信頼を寄せ、後に愛する様になる。制圧後の地球においては、地球文化の保護に努めた。気弱な外見からは想像できないが意外と行動的で、正面からル・カインの主張に反駁したこともある。レジスタンスの象徴的リーダー。年齢は、グラドス軍が地球侵攻作戦を開始した当時14歳。 
デビッド・ラザフォード（演：梅津秀行） 
コズミック・カルチャー・クラブの生き残り。生き残りメンバーの中では、アーサーに次いで年長。直情径行の行動派。親友がグラドスの襲撃で死んだこともあり、最初はエイジに憎しみを抱いていたが、共に危機を乗り越えやがて親友となる。SPTベイブルに搭乗。制圧後の地球においては、レジスタンスの実質的リーダーとして最前線で活躍した。地球製SPTドールにも搭乗。アメリカ人。 
シモーヌ・ルフラン（演：平野文） 
コズミック・カルチャー・クラブの生き残り。ルフラン侯爵令嬢。地球制圧後は、その立場を利用して社交界でグラドスの情報を収集していたが、正体が露見し、デビッドと共にレジスタンスに身を投じた。当初はエイジに対して思いを寄せていたが、最終的にはデビッドに好意を抱いている様子が見られた。 
ロアン・デミトリッヒ（演：鳥海勝美） 
コズミック・カルチャー・クラブの生き残り。冷静で根気強い知性派。SPTバルディに搭乗する。地球制圧後はグラドスにその能力を認められ、ル・カイン直属の部下として働く一方、アーサーにそれとなく機密情報が伝わるよう仕向け、間接的にレジスタンスを支援していた。最終的にグラドス軍の地球駐留軍の司令にまで上り詰めるが（TVでは詳細が明かされなかったが、後のOVAにおいて、地球人とグラドス人が同祖だと知ったル・カインが、自分が優秀と認めた地球人を抜擢した結果と判明する）、間もなくル・カインに反旗を翻す。 
アーサー・カミングスJr.（演：鹿股裕司） 
コズミック・カルチャー・クラブの最年長。頼りないタイプで、専らトライポッドキャリアーの留守を守っていた。制圧後の地球においては、グラドス側の役人として服従する態度を示しつつ、レジスタンスに情報を流したり連絡役を務めたりしていた。イギリス人。 
エリザベス・クレブリー（演：戸田恵子） 
コズミック・カルチャー・クラブの引率者で、大人の中で唯一の生き残り。医師。平和主義者だったが、地球制圧後は地球解放戦線の中心人物として地球製SPT開発等で活躍する。 
マッシュ（演：伊倉一恵） 
レジスタンスと行動をともにする少年。愛犬ガウと共に、アンナの傍にいることが多い。 
ジョン・ギルバート（演：藤城裕士） 
国連宇宙本部の科学者で、コズミック・カルチャー・クラブの責任者。エイジの父、ケン・アスカと旧知の仲。制圧後の地球においては、地球解放戦線の中心人物として活躍し、地球製SPTの開発も手がけた。 
カークス・ダニー（演：郷里大輔） 
米軍の宇宙輸送艦アストロホークⅡの艦長で階級は少佐。火星への定期補給任務でエイジ達に遭遇し事件に巻き込まれる。当初エイジの事を激しく敵視し、のみならず同じ人間として扱ってもいなかったが最終的には彼と信頼関係を築いた。ソ連軍の巡洋艦からエイジ達に地球の行く末を託して彼らを脱出させるべく奮闘したがエイジ達が脱出した直後にソ連兵に射殺される。 
ロジャー（演：速水奨） 
米軍の宇宙輸送艦アストロホークⅡの副長で階級は大尉。テンガロンハットがトレードマークの気さくな軍人でダニーとともにアストロホークⅡで火星へ向かい事件に巻き込まれる。乗組員の中ではダニーに次いで階級が高く彼が不在の場合はロジャーが艦の指揮を執る。レイズナーの横槍があったためとはいえ手動でミサイルを誘導してドトールを撃破するなど優秀な軍人だったがカルラ隊との二度目の戦闘で死亡。 
マース（演：戸谷公次） 
米国国防長官。地球へ脱出してきたエイジ達を分析し、彼らの警告そっちのけでSPTを「国際社会で主導権を握るためには必要なこと」として分析させ自分達の戦力とする事を画策した。大統領にも直接助言が出来る立場にあるらしく23～24話ではホワイトハウスで大統領の補佐を担当する。政治的な駆け引きには熱心だが万策尽き果てるとあれだけ冷遇したエイジ達を戦力としてぶつける事を即座に提案するなど聊か良識に欠ける発言が多い。 
カブス（演：屋良有作） 
米軍エドワーズ基地司令官。マースの部下にあたる人物で19～20話では彼に助言をしていた。彼と同じくエイジ達の警告を聞き入れようとせず、大国のプライドと行動理念に基づいて動く人物として描かれているが暴走したレイズナーの制止をエイジに頼んだりもはや自分達だけが地球の最後の希望だという事をデビッドに伝えるなど損な役回りが多い。最終決戦をギルバートとともに見守りデビッドら子供達に地球の未来を託す事を「馬鹿げている」と評した。 
デリンジャー（演：藤城裕士） 
米合衆国大統領。おおまかに言えばマースやカブスの上司であるが汚染が少ない宇宙空間で異星人であるグラドスに対し核を使用する事に躊躇いを見せたりデビッド達に真剣に語りかける姿など彼らと対照的に誠実な人物である。 
レイ（演：原えりこ） 
レイズナーに搭載されたコンピューターSAI2000・インターフェース（OS)。エイジから指示を受ける際、了解の意味として「レディ」と言葉を発する。最終的にV-MAXをフォロンから受け取り、統合されたひとつのOSとなる。 
フォロン（演：原えりこ） 
レイズナーに搭載されている第二のOSで、グラドス創世の秘密の伝承と保護を使命とする。神聖マザーコンピューターの一部でエイジの父、ケン・アスカが密かに搭載させていた。普段はレイの陰に隠れて表に出てこないが、レイズナーが危機に晒されるとレイの回線を強制的に遮断し、己の保護を最優先にした行動を取るようになる。V-MAXも当初は自身のみが使用できるようにしていたが、エイジとの会話の末、レイに使えるよう回線を繋ぐ。一見自分勝手に行動しているように見えるが、レイズナーの機能を完全に掌握した際にエイジに指示を求めたことから、サポートコンピューターとしての機能も少なからず、備えていることが伺える。 
アーマス・ゲイル（演：堀秀行） 
グラドス軍中尉。ジュリアの婚約者であり、エイジとは幼少の頃から交流があったよき先輩であった。グラドスに反旗を翻したエイジを連れ戻すため、追撃隊を率い、SPTグライムカイザルを駆ってエイジと交戦。最後はエイジを撃墜寸前まで追い詰めるも、フォロンの発動させたV-MAXに撃墜され、宇宙に消える。この時の最後の言葉が、物語の重要な鍵を握ることになる。 
アルバトロ・ミル・ジュリア・アスカ（演：横尾まり） 
エイジの姉。エイジを説得する目的で地球に向かう艦隊に呼び寄せられたが、婚約者ゲイルの仇討ちとしてエイジ抹殺の任務を帯び、SPTブラッディカイザルに乗り込む。地球制圧後は、グラドス創世の秘密に触れて己のなすべきことを知り、グラドス人と地球人の共存を訴えて非暴力による運動を展開。「クスコの聖女」として民衆の支持を集めた。グレスコ提督の死後、理想に暴走したル・カインを観て戦いを止める為、刻印の発動によるグラドス星と地球の空間を閉鎖を決意、実行する。その後の彼女の生死は不明。彼女を慕って集まった女性たちはクスコの聖女隊と呼ばれた。 
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         <pubDate>Sat, 24 Jan 2009 12:10:52 +0900</pubDate>
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